優しくして優しくされたい

君を形容する言葉を探してる

私の真ん中

ご報告です。
本日より、担当を川島如恵留くん一人に絞りたいと思います。


……ついに…言った…

如恵留くんを見る度に降りたい、如恵留くんを唯一の担当にしたいって思って、何度も担降りブログの下書きを書いた。でも結局書けずじまいで、担降りも出来なかった。

それはDDが私にとってのアイデンティティだったから。もう人生の3分の1はDDで、DDじゃない自分なんて考えられなかった。ずっとDDを辞めたいって言ってたけれど、辞める気なんてさらさらなかったと思う。

そんなDDの私の前に、突然現れたのが川島如恵留くんだった。如恵留くんに出会ってから、初めての感覚を沢山知った。毎日がキラキラして、ずっとワクワクしていた。
特にワクワクするのはやっぱりコンサートに行った時だった。

それまで、私にとってコンサートは答え合わせの場だった。ここがなんとか君っぽい。この動きは私の好きななんとか君。この表情はあの時のなんとか君と同じ感じ。その日まで見てきたなんとか君が間違いではなかったことを確認して、新たに見つけたなんとか君らしさをインプットして微調整して帰ってくる、そういう場所だった。
でも、如恵留くんはそうじゃなかった。見る度、見る度に新しい如恵留くんだった。もちろんしばらく見ているうちに癖みたいなものがわかってきて、らしいなと思うことも沢山あったけれど、1度として前に見た姿と完全に重なることはなかった。
それは自担の舞台を見た時の感覚と似ていた。脳裏に焼き付いた姿形だけれど、それは私が知っているものとは全く違う。目の前の如恵留くんは如恵留くんであって如恵留くんでない。その時のその瞬間だけの如恵留くん。如恵留くんは曲の世界の住人として役を演じながらステージにいた。如恵留くんがステージに立った時、そこは劇場になる。そこには物語がある。

いつどこで見ても、如恵留くんは頭から足、指先に至るまで曲の世界にどっぷりと浸かって、それが身体の中に染み込んで溢れ出しているみたいだった。一目見るともう一切そらせなかった。大好きな世界を全身で受け止める。幸せが心を満たして、多幸感で張り裂けそうで苦しくなった。
気がつけばその感覚に病みつきになっていて、もっと見たい、もっと味わいたいと思った。

そう思えば思う程、私の世界の真ん中が如恵留くんに近付いていって、気付いたらもう如恵留くんが中心になっていた。
それにはかなり前から気付いていたけど、気付かないふりをしていた。
なぜなら、怖かったから。先がより不透明なJr担オンリーでやっていく自信がなかった。

でも、どんなに不安を抱えながら現場に行っても、Travis Japanはいつだってそれを吹き飛ばして、楽しい気持ちだけで心をいっぱいにして、幸せで溢れさせてくれた。
Travis Japanを見ていて暗い気持ちになったことなんて1秒たりともなくて、ずっとずっと強くて逞しくて明るく笑っている人達だった。
湾岸LIVEでとにかく楽しそうに笑って、はしゃいで、歌って踊る彼らを見たら、やっぱり彼らを信じたいと思うようになった、と言うよりも彼らを信じるしか道はなかった。

如恵留担になるまでの話をブログに書いた時に、如恵留くんの投げチューで私の中の何かが滅亡したって書いたんですけど、多分如恵留くんは長年私の中枢を担っていたDDという概念をぶっ壊したんだと思う。
私はそれをこれまでずっと後生大事に掻き集めて守っていたんだけれど、粉々になった概念はポロポロ零れていって、もう抱えられなくなってしまった。
その空いた穴をぴったり埋めたのが川島如恵留くんで、Travis Japanだった。
でも、粉々になったDDはまだ私の周りに散らばっているし、ポケットにも欠片が入っている。だから、これからも色んな現場に行くし、これまでの担当の人達はやっぱり大好きだから甘やかしたいし、時々語ることだってあると思う。要は、肩書きを如恵留担一つにしただけで、傍から見たら中身は何にも変わってないということです。
でも!これは私にとって今までの人生3分の1がひっくり返る大事なことなので、ここまで長々と書いてきました。そのお陰でやっと気持ちが固まりました。

これから多分もっと如恵留くんに関して重くて面倒くさいオタクになるし、ファンレターも比例してどんどん長くなるだろうし、如恵留くんには何のメリットもないと思うんですけど、今日から私は川島如恵留担です。

如恵留くんこれからも末永くよろしくお願いします!